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毎度なこと

日常の発見、愚痴、文句

くそったれめ

欲しいものも、したいこともありすぎて困る。
何もかも足んない。
ちくしょう。
やってもやっても足りない、見てくれない、満足できない。
眠れもしない。
かといって起き上がれない。
ああ、くそ。
中途半端だ、何もかも。
一つだけ、一つだけ心から、本心から、願うことがある。
もう一度眠りたい。
熟睡したい。
夜ゆっくりと眠りたい。
一つだけ、心から欲しい、願う。
まだまだ。
素晴らしく暖かで、輝いている。
まだ折れない。
負けるわけにはいかない。
知っている。
あれが希望であれしか見えない事も。
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  1. 2008/07/30(水) 05:13:35|
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最近知り合った変な人達

最近妙な人達と知り合いになった。
なかなか面白い経験ではありますが、長くは付き合えないな。
異常なパワーを感じるがあくまで異質なエネルギーなのだ。
            一人目、この人はお客さんで常に一人で来店し、俺の隣に女の子がいるにもかかわらずずっと俺に視線を送り続ける男であった。
どれほど店がすいてようがカウンターに座り俺に話し掛ける。
そっちの人間かとなるべくさけていたが根負けして食事にいくことに、あんな強引で社交辞令を逆手にとった誘い方はないな。
で、行って後悔。
ゲイではなかった、ただネズミ講だっただけだ。
いやー、なかなか強烈。
あそこまでどっぷりつかってると幸せだね。
宗教に盲信する殉教者。
いや、あるいみ宗教か。
ともかくよくあの空気に耐えれたよ。
一切興味をもたず、観察するという姿勢を貫いたのがよかったのか。
苦行のような3時間だった。
なんとかパンフだけですましたが。
しかし、情熱をかける事は悪くはない。
何かにかけるものがあるのはいいことだ。
方向は違えどかけるものが俺にもある。
共感は一切ないがな。
参考にすらならんが一応その姿勢は見習わせていただこう。
まだ知り合った変な人達はいるのでそれはまた明日以降で。
  1. 2008/07/30(水) 02:18:41|
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犬死にとは何だ

我が家の犬が死にそうである。
病気や事故ではない、寿命だ。
ヨークシャーテリアとシーズーのミックスで現在13歳。
悪くない犬生ではあったのではなかろうか。
あっ、そういえばこいつ童貞だったけ?
そこはあきらめてくれ。

白内障をわずらい視力を失い、手足に力が入らなくても帰ってくる気配が伝われば必死に尻尾を振り、出迎えようとする。
もういいよっていったって、どうせきかないだろ。
だから最後までしたいようにしなよ。
帰ってきて嬉しいんだろ。
俺も嬉しいよ、お前の飼い主でさ。
            犬は飼い主に見取られて最後をむかえるのだろう。
飼ったことはないが猫は死期を悟れば姿を消すと聞く。
何年か過ごしたのち最後を迎えるならどちらがよいのだろうか?
見取られた死か、孤高の死か。
あるいは見送り、見守った死を確認する作業か、わずかな希望を漂わす消失か。
            犬死にというのはダメな言葉だ。犬が死ねば関わりあう人達は心を痛める。
犬はたいてい群れの為に死ぬ。
人間ぐらいだ、群れの為ではなく事故満足な死を選び、死んでよかったなどと言われるのは。
意味がない死なら犬死ではなく人死にとすべきなのかもしれない。
  1. 2008/07/28(月) 03:40:32|
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不可思議な世界だよな?

絵本を鑑賞しました。
読むのではなく鑑賞。
昔見たことがある作者さんのだったので衝動買い。
中古だったけどね。
その絵本とは『だいじなものがない』 木村泰子‐絵と文‐
この木村泰子さんの絵、面白くて、飽きない、。
はっきりいって可愛くない、媚びてない。
子供なら下手をするとトラウマ一歩手前まで追い込むのではないかと思われる不気味さ。
ジム・ヘンソンの世界にどこか共通する不気味でそれでいて愛らしい生き物達。
ああ、画像をのせる方法が知りたい。
たぶん子供の頃に出会っていればただ通り過ぎてしまっただろう、ちょっとした衝撃やぼんやりとした曖昧な記憶は残ったかもしれないが。
大人になってから出会う絵本は子供の時に受けた衝撃を遥かに上回るのかも。
この犬?は好き、ワニみたいなのも好きだし、ハゲタカみたいなのも異様に目をひきつける、もとが何なのか分かんないのものもいい味だしてる。
見つけたら一度衝撃を受けて欲しいし、愛しさを感じて欲しい。
  1. 2008/07/25(金) 02:46:44|
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思い出したくない感触

60歳のおばさんが6億横領(60億横領に見える時がある)ってニュースが目にはいる。
6億横領するほうも凄いがそこまで気が付かなかったほうも凄い気が。
それはそうと目的が息子の借金だとかなんとか。
多少は自身の為に使ったとして差っ引いたとして、それでも6億近い借金があったってことか。
どうゆう経緯でつくった借金か知らないが、個人で6億借金つくれるのはどうゆうことだ?
羨ましくはないが不思議だ。
            無差別に、誰でもよかったなら自分も対象にいれとけよ。
            俺は暴力は好きではない。DVなんて嫌悪の対象でしかない。
だがどうやら近々DV男と知り合いになる機会に恵まれそうである。
胸ぐらとかつかまれたらどうしよう?
昔、真面目っぽい外見のせいか多少絡まれたことはある。
カツアゲとやらをされたこともある。
あっ、一応色々やってたので返り打ちにはした、それもそうとう激しく。
女性に暴力をふるうということが想像出来ない。
子供にも出来るのか?
子供は苦手だが手をあげるなんてこと無理だ。
理由、例えば躾けというならまだ多少は、それも常識の範囲ならね。
痛みは知っておく必要もあるわけだが、知りすぎる必要はない。
でだ、ちょっと恐いのは暴力をふるわれるかもというよりふるってしまうかもという恐怖だ。
それに再び慣れてしまうかもという恐怖だ。
連鎖がはじまってしまう恐怖もある。
はあ、ちょっと気が重いね。
  1. 2008/07/24(木) 04:48:59|
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我らの住まう街に潜みし狂気と恩恵

小説を読み強烈なイメージにとらわれる事はないか?
ある小説を読み、その強烈なビジュアルイメージにおかされた事がある。
その小説とはクライヴ・バーカーの『ミッドナイト・ミート・トレイン』だ。
個人的にクライヴ・バーカーは好きな作家だがやはり血の本のシリーズが最高に面白い(当たり外れがあることはいなめないが)。
特にこの『ミッドナイト・ミート・トレイン』は傑作だ。
スプラッターというジャンルは綱渡りだ。
破壊の描写のさじ加減は絶妙のバランスを要求される。
行き過ぎて一歩踏み込めばホラー、恐怖にはなりえずギャグと化し、失笑しか得るものはない。
かといって躊躇すればパワーそのものを失う。
そんなスプラッターにバーカーは光明を見いだした。
痛烈なるビジュアルイメージ、破壊をなさねばならない明確なる目的、関わらざるを得なくなった心理、サスペンス。
それらを容赦なく、迷いなく詰め込み昇華させる。
この『ミッドナイト・ミート・トレイン』はその全てに成功している。
  1. 2008/07/23(水) 04:21:28|
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ああ、無常

好きでも嫌いでもない、これは一番つらいのかもしれない。
友情ではなく愛情の場合。
思いが届かない、これは当然つらい、淋しい。
一方的に思われるのもまた淋しい。
今ある人を一方的に想い続けてる。
優柔不断で無神経、格好つけで勝手な俺はそんな思いに同情して、自分に向かう思いを振りほどけない。
自分が拒絶されたら立ち上がれない。
本当の優しさとやらがはっきりと拒絶することならそんな優しさいらない。
うわべだけの優しさとやらの方がましだ。
せめて、うわべだけでいいから。
それが本心。
  1. 2008/07/19(土) 04:16:41|
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今はまだ押すつもりはない

俺って女好きなんだよな。
いいように見られたくて格好つけて、ずるずると巻き込まれてる気が。
まあ、いいんだけどね。
なかなか面白そうな経験になりそう。
現実は小説より奇なり、さてどう転ぶか。
            最近読んだ本でなかなか面白かったので感想を一つ。
『SWITCH スイッチ』 さとう さくら 著
この話の主人公苫子に異性ではあるがちょっと共感してしまった。
人間関係に面倒臭さを感じ協調性に欠けている事で自分の自意識が傷つき、壁をひたすら作り続ける苫子。
分かるんだよな、下手すると自分もこうだったから。
一歩進んだり、踏みとどまったりするのはパワーがいる、それは本人の意志もあるだろうがタイミングというか時期もある。
何というか、自分を正当化出来る何かがないとつらいよな、そこにそって立ってないと崩れていく。
何にもなかろうと社会ってのは常識とやらを押しつけてくる。
面倒臭さいこった。
スイッチ一つで人が消え、自分が消せたら楽かな。
俺は押さないだろうな、多分。
色々あるだろうが、俺にはそれを楽しみ悔しがり、絶望する権利がある。
それを放棄するなんてもったいないこと出来ない。
ほんのちょっと柔らかくなった苫子にほほ笑みを。
また二、三スイッチを押したくなるだろうが、それはそれでいいんだから。
  1. 2008/07/18(金) 04:48:57|
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積層都市〈ケイオス・ヘキサ〉にて

読んだ時期がよかったのか頭の片隅にこびりついてはなれない小説がある、『ブラックロッド』という作品だ。
作品の善し悪しはキャラクターだと思っている。
印象に残る作品はキャラクターへの肉付けと愛が細部まで、そして脇役にまでゆきとどいている作品だ。
キャラクターは設定と世界を凌駕する。
だが、世界観を表した時点で完成を約束された作品も存在する。
この〈ブラックロッド〉はその類の作品だ。
積層都市〈ケイオス・ヘキサ〉、この世界観を完成したことに嫉妬する。
この世界は魔界都市〈新宿〉やあるいわ〈中つ国〉に比肩する。
この世界ではキャラクター達は翻弄され、使命あるいは運命を、そして人生を予定調和のごとく消費していく。
キャラクター達が生きる作品は現実からの逃避につながり、世界が蠢く作品は現実に向き合う話なのかもしれない。
  1. 2008/07/16(水) 03:45:16|
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平和な世の中だね

王様のブランチにて今週の映画トップ10みたいなのをぼんやりみてました。
かるーくショックだったのはインディ・ジョーンズが花より男子に負けてたことだ、こんにゃろー。
いや別にね花よりが悪いわけではない、ただ趣味が違うだけなんだが、ちょっと悔しい。
せめてマジックアワーならなと思わなくもない。
クライマーズハイとかさ。
まあ、いいんだけどね、食わず嫌いでみてみると以外となんてこともあるかもしれないし。
なんていいつつみないんだろうけど。
純喫茶磯辺はみたいけどね。
  1. 2008/07/12(土) 11:25:30|
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メキシカンとインディアンを含まず21人を殺した男

基本はホラー映画やSF映画が好きなのだがもう一つ心惹かれるジャンルがある、それが西部劇だ。
クイック・ドロウの緊張感、アウトロー達の悲哀、カウボーイ達の無作為な生き方、滅んでいく時代の空虚さ、そんな空気がいい。
日本なら幕末ものが好きというのと似ているのかもしれない。

そんな時代のなか数あるネイティブ・アメリカンの伝承や伝説にひけをとらず自身が神話とかした男がいる。
悪名高き義賊ビリー・ザ・キッドだ。
そのビリー・ザ・キッドの青春とその名を絶対のものにしたリンカン郡戦争(西部劇史上ではあのワイアット・アープのOK牧場に並ぶ見せ場)までを描いた映画がある。
そう『ヤングガン』だ。
紛れもない西部劇だが、同時に青春映画でもある。
この映画で描かれるビリー・ザ・キッドはいわゆるヒーローではない。
狡猾で切れ気味、口が巧く勝手な男だ。
一対一の早打ちなんて夢はない、生き残るために時には無慈悲に殺すことを重ねる。
そして仲間をもずるずると破滅の渦に引き込んでゆく。
はっきりいっていかれたやな奴だ、それでも好きなんだよな俺は、このビリーが。
チャペスやドク、チャーリー達も自分達を呪いながらも同じ気持ちだったのだろう。
全てに裏切られながら自分を貫くことは無謀だ、生きざまははかない方が美しいといえる。
だがまあ、ずるずる生きるのもまた美学。
ビリー・ザ・キッドが選んだ生き方は逆らうことだった。
ビリーを義賊とし英雄視する話なら好きにはならなかっただろう。
  1. 2008/07/11(金) 04:18:55|
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パズルをといてみろ

えー、最近無言電話に悩まされてます、何となく犯人に心当たりはありますが恐くてきけません。
            ホラーのキャラクターをあげろというアンケートをとれば恐らく9位とか10位にランクされるであろうビジュアル系ピン・ヘッド君の登場する『ヘルレイザー』を鑑賞。
この作品の雰囲気は好き。一応日常なのだが終末的雰囲気を不思議とかもしだしている。
異質な閉ざされた洋館。
暗躍する悪女ジュリアに小道具としてこれ以上ない程魅力あふれるパズルボックス《ルマルシャンの箱》。
表れ出でた魔道士。
彼らのビジュアルは必見。
恐怖を感じさせるキャラクターは多い、嫌悪感を抱かせるクリーチャーも少なくはないだろう。
だが、気品を感じさせるモノの存在は希有。
欲しいと思い、手に入れるために差し出す、それは人間としていや人間ならではの行動だろう。
欲しいものは増えていき巨大になってゆく。
己の手にあまると感じながらも肥大した意識はより多くを求める。
行き着く先は破滅しかないのかもしれない。
だがその破滅こそ究極の快楽なのだろうか。
魔道士ピンヘッドのビジュアルはそれを体現する。
  1. 2008/07/10(木) 02:29:13|
  2. 映画話
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見つけてしまった

部屋を掃除中にあるビデオを発見。
それはずいぶん前にダビングしていた『ミディアン』であった。
というわけで久々に鑑賞。
画像がちょっと悪いがこの際仕方ない。
以外と作り込まれた奇妙な世界とクリーチャーは嫌いではない。
主人公があまり好きにはなれなかったが、関係ない。
なぜならこの映画の最大の魅力は彼にある。
そう殺人鬼デッカードだ。
この素晴らしく狡猾で、狂っててセクシーなキャラクターは登場した時点で人でありながら異質なるクリーチャー達を凌駕した。
仇役であるにもかかわらずすべての場面をもっていったのだ。
この素晴らしきキャラクターを肉付けしたのはデビット・クローネンバーグだ。
この方の演技が素晴らしい。
ハンニバル・レクター博士に匹敵するといっても過言はない。
はっきりいってクリーチャー達は必要ないのではと思うほどだ。
ストーリーや世界観を練り込みどれほど緻密で壮大な世界を作り出そうと、その世界は同じく練り込まれたあるいは意図しないキャラクターに破壊もしくは蹂躙される。
それがよい方向か悪い方向かはわからないが。
世界を作り魅力を加え動かすのはキャラクター、すなわち人なのだ。
  1. 2008/07/09(水) 02:59:35|
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あー、そういえば

ちょうど目に入ったのであるDVDを鑑賞する。
それは子供のころにみて、トラウマとまではいかなくても心に軽い傷をつくった作品だった。
その映画の名は『ゾンビ』だ。
消費社会に対するナンタラカタラは語り尽くされているようなので別口からせまろう。
特に印象に残っているのは一人の兵士がジワジワとゾンビに変わっていくシーンである。
今みるとさすがに特殊効果による衝撃は低いが、それでも背筋かぞくぞくした。
ガキの頃の記憶も手伝っているのだろうがたいしたものだ。
しかし、何でこんなに琴線にふれたのだろうか?
それは人間からの脱却を負の方向とはいえ見せられているからだろう。
僕は変身願望が強い。
特にヒーロー願望が強い。
ガキの頃はもっと強かっただろうから、ショックは大きかったのだろう。


人間をやめる方法は現実でもおもっているより多い。
実行も可能だ。
だが、何の説明もなくただこうなるというのは本当に恐ろしいのだ。
かつて恐かったのは、自身がゾンビに襲われる恐怖だった、成長した今、恐いのは自分がゾンビ化するかもという恐怖だ。
思ったのだが、この考えは今の状態に左右されているのではないか。
子供の頃って大体恐怖は追われているものだった、つまり自分は自分のままであり、いいかえるなら自分が中心だったのだ。
ところが成長すると自分がもしかして、というのが恐怖になった、つまりまわりが正常で自分が外れてしまう、異端者になる恐怖だ。これは社会に溶け込めないという思いの恐怖ではないだろうか?
まわりがゾンビなのだから自分もゾンビにならなければという脅迫概念がどこかに存在しないだろうか?
願わくば自分が襲われる恐怖のままでいたいもんだ。
他人がゾンビ化しても自分はならないよう思考しよう。
  1. 2008/07/02(水) 04:12:01|
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