毎度なこと

日常の発見、愚痴、文句

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

吹き溜まる場所

ビュウビュウと風のいななく音が凄まじい。
「すごいな、この風は。ここは大丈夫だろうな。」
自分が置かれている状況に一抹の不安を覚える。
地質調査の為にこの地にやってきたのだが、想像を遥かに越え厄介だった。
地質は複雑などというものですらなく、不可思議であり、ありえないものとしかいいようがなかった。
さらに、自然というものの厳しさの部分だけをくりぬいたかのような大地、西部開拓時代の息吹が残りネイティブ・アメリカンの文化を根深く受け継いだ気質が彼を苦しめていた。
もう限界ではないか、その考えは日に日に増している。
今日はこの強風だ。
なんとかぽつんと立つこの小屋までは避難出来たが、身動きがとれない。
助手としてついて来てくれた二人の若者の顔にも疲労が刻み込まれている。
念のために現地のガイドを一人雇ってはみたが、何の役にもたっていない。
この若いのか年老いているのかよくわからないガイドの顔は常に無表情、唯一顔に刻まれた表情は何十年も積み重ねた諦めだ。
そういえばこの小屋は昨日はあったのだろうか。
記憶にない。
小屋には先客がいた。
「あの音は本当に風のなす音かとお思いですか?」
その先客が口を開いた。
スポンサーサイト
  1. 2008/05/31(土) 03:05:00|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

VS両横綱

横綱の品位や品格がどうこうでもめている。
正直どっちでもいいと思う、相撲にさして興味もないし。
まあ、人間らしくていいんでない。
大体相撲というものの位置が奇妙な位置にあるのだ。
神事、スポーツ、格闘技?
格闘者であるならあの姿勢は正しい。
スポーツマンというなら慎むべきなのだろう、だが、競い合うという概念が存在するかぎりはあの姿勢は完全に否定することは出来ない。
では、神事を司る者としてはどうか?
これは最初から論点にいれるべきではないのではないか。
神に捧げるならお金を取って見せるべきではない。
神に捧げる神聖なものならば秘せるべきだし、神の概念をはっきりさせるべきだろう。
それならばいっそエンターテイメントにてっするべきである。
もしこれが協会の仕組んだシナリオなら一級なのだがな。
まあ、この争いで何が一番気に入らないかというとあの横綱審議会のおばちゃんなんだろうな、俺は。
  1. 2008/05/30(金) 02:23:20|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

最近の映画について

最近映画観てますか?僕は観てます。で、思うのだが最近の映画どうよ。いや面白くないとはいわないよ、しかしなんというかこう燃えるものがないような気がする。映画に関する経験値が上がっているせいだろうか?いやそれだけではないだろう。これは映画製作に職人がへり、クリエイターが増えたことに起因するのではないだろうか。職人とクリエイター、この二つの創造者の違いは何だろう。職人とは生み出すことに誇りをもつ人達。クリエイターは生み出すことに喜びを見いだす人達ではないだろうか。職人は製作に誇りと技術を注ぎそして自負をもつ。クリエイターは製作に情熱と愛を注ぎ満足をえる。どちらが上で正しいとは言わない、ただ僕は職人にひかれるというだけなのだろう。職人の製作に燃えるのだ。
  1. 2008/05/27(火) 12:00:46|
  2. 映画話
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

コーヒーのいれ方

なかなか難しいんだよな、コーヒーをいれるのは。蒸らす時間、お湯の注ぎ方、温度、全てがうまい流れのタイミングで行なうのは。作る以上美味いとおもわせたい、あくまで自己満足のためだが。最近そこそこ納得出来るレベルでいれれるようにはなったが、問題が一つでてきた。人に教えねばならないということだ。これがもっと難しい、コツは聞かれて困ってしまう。まあ、コツはある、僕の場合だが。コーヒーをいれるにはThe Mighty Mighty Bosstones のThe Impression That I GetかBarry WhiteのMy Everythingがいい。まあ当然誰にも伝わらないけどね。頭の中に音楽は常に流れいるんでこの入れ方は一番いいんだがな。
  1. 2008/05/26(月) 17:09:35|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

好きな作家

尊敬するストーリーテラーはと聞かれれば必ずこう答えることにしている荒木飛呂彦と。作家と呼ばれる人達の一歩上にストーリーテラーというものを僕は勝手に位置付けている。ストーリーテラーとは語るに値するストーリーを紡いだ人達に対する敬称と考える。
ジョジョの奇妙な冒険は良質のストーリー群だ。
その第5部《黄金の風》に登場するスタンドの中で一番気に入っているのは《グレイトフル・デッド》だ。このデザイン、何が気に入っているかといえば下半身がないことではないだろうか。デザインとして完璧でありながら何かがたりない、この不完全さ。調和や無駄を排除したものに美しさを感じるのはまあ当然として、不完全さや無駄にこそ魅力を感じてしまう。不完全さには心の琴線に触れる落ち着かない美しさがある。
  1. 2008/05/24(土) 11:02:19|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

執着するということはどうゆうことか

執着するということは悪夢を見続けることに等しい。それが物であるならあるいは救いがあるのかもしれない。しかし、それが人ならその執着と言う名の悪夢から逃れられない。いつ何時も手に入らないその人を思いながら、ただ時だけが過ぎ続ける。眼の前に解放される手段となる人がいるにもかかわらず執着はその眼を曇らせてしまう。この悪夢から解放される方法はいくつも知ってる。だが実行することは出来ない。この執着を断つことが出来るのもまた執着することなのだから。
  1. 2008/05/23(金) 02:29:00|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

見える世界、見えざる世界

先日ちょっとした事故にあい片目の視力を失うかもという恐怖にさらされてしまった。今までの当たり前は簡単に崩れるということを深く理解させられた。ふと疑問が生じたのだが、今まで自分には見てきた世界があり、触感をもっている、夢をみる時も今まで見てきた経験で不思議な世界を形作っているわけだが、生まれ以て視覚に障害がある人達や色盲の人たちの見る夢はどんな形なのだろうか。見るという経験がないなら世界はどんな形であらわされるのだろうか。その夢に描かれる不思議な世界はどんな形なのだろうか?
  1. 2008/05/22(木) 09:05:23|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。